名古屋の一週間

         2014/6/9


これは非常に疲れた一週間だったが、充実した一週間だった。

疲れた理由は幾つかあった。まず、引っ越しは大変だったことだ。重い荷物を持って、強い日射しで、一つ一つ駅を乗り換えて、階段を上がったり、降りたりしたのは體に厳しく応えたことだ。まるで熱中症気味のようだ。二つ目は、いろいろな手続きが複雑なことだ。在留地の転出と転入や、退寮と入居や、定期券の払い戻しと買うことや、職場のパソコンの速達や環境の構築など、時間がかかっていたことだ。三つ目は、新職場に慣れるのは時間が必要なことだ。上司は厳しいか優しいか、職場の雰囲気はどんな様子か、どんな注意事項があるか、全然わからなかった。四つ目は、XXXの體制は変って、私は開発チームの擔當者になったことだ。実際に會ってコミュニケーションできなかったので、リーダーの責任を引きうけるかどうか、自信がないと思っていた。そして、毎日メールを10通以上送付したし、それぞれの會議はlyncで行われていたし、緊急対応のために、殘業しなければならなかった。南京と名古屋は1時間の時差があって、時間がきつかったので、晝御飯の時間、食べながら、南京側と連絡していた。最後に、名古屋に來たばかりなので、生活の問題もあった。マンションの近くに、スーパーと料理店がどこか、通勤方法はどうか、テレビとネットはどのように利用できるか、自分で解決するしかなかった。新しいマンションの寢る所は上の方なので、梯子は必要だ。不便だと思う。ネットのケーブルやヘッドセットがなかった。いろいろな困難に遭った。それに、名古屋で、日本語授業は2日から5時間に短くなった。対面ではなく、リモートでの授業になった。新橫浜で、Kさんが毎日30分の特別の補習をしてくれたし、晝御飯の時、日本の友人とよく喋ったし、周りの人とよい関係を結んできた。自分の再三の誘いで、毎日の雑談が定例化できた。しかし、すべてのことは無駄になった。川崎という天國から地獄に落ちたようだ。

一方、充実したこともいっぱいある。まず、名古屋の擔當者は親切なので、水曜日、私のために、歓迎會を開いてくれた。その中で、皆は私によく話しかけてくれた。後で、二次會も開催してくれた。xx部長は奢ってくれた。そして金曜日、本部の方針説明會と懇親會が行われた。幸せなことに、私も參加できた。私は來年のXXXの経営狀況に対する心配がなくなってきた。懇親會の間に、部門のトップと挨拶したのはよかった。私はビンゴでJFAの記念コップを取って、うれしかった。もう一つは名古屋の上司はいろいろな會話機會をくれたことた。毎朝、全ての部門の人の前で、一分間スピーチが定例化された。それから、朝會で、自分の前の日のやったことと本日の予定の仕事と課題を報告することだ。次はチームメンバ順番でフリートークしてくれた。毎週のプロジェクト會議にも參加できる。それ以外に、今はチームリーダとして、J側と交流の機會も多くなってきた。開発中の交流の問題がいろいろあったので、今名古屋の方はプロセスを強化するため、様々な改善を実施している。南京側と私は喜んでいる。つまり、殆どは順調だ。これはよかった。體はつかれたのに、精神は充実している。

多忙な一週間だった。來週はどうだろうか。やる気満々で來週の仕事を迎えていこう。

以上

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