人に光を與えると 自分にも與えられる

 

天地開闢人類社會は、原始の世であれ現代文明社會であれ、人と人との協力協調なくしてこの世は存続し得ません。人はこの世に生を受け周囲は多くの人で溢れ、その人々の中に自然と好き嫌いが出てきます。人は必ずしもお互い気が合う仲とはなりません。常に好感を持つ人は相手も好感を持ち、嫌いと思う人は相手もそう思うのが常です。

 

人と人との友好関係は、相互理解と信頼の上に築かれたものです。一つの理解の表情、一つの溫かい微笑み、一つの気遣い言葉、相互の親切心や協力し合う行動を通じて、友好関係が築かれていくのです。人と人との関係はそういうものです。人を助けることこそ自分が助かるのです。

 

こんな物語を思い出しました。

 

昔、有名な文學者蘇軾先生が禪師と一緒に座禪を組んでいた。蘇先生は冗談で禪師に言った、私は座禪を組んだとき、天眼で禪師を牛糞と見た。それを聞いた禪師は、私は天眼で先生を如來と見た。これは蘇先生の完敗です。と言うのは、蘇先生は禪の修業の根本である《全て外観するものは內心にあるものの反射である》という原則を忘れてしまったのです。蘇先生の心は牛糞であったので禪師が牛糞に見え、禪師の心は如來であったため蘇先生が如來に見えたのです。

 

とても簡単な道理です。貴方が人を素晴らしいと思えば、その人は貴方に信頼され、逆に、貴方がダメ人間と心で評価すれば、その人は離れて行きます。また、こんな話もあります。ある盲人が夜出かける時に提燈を提げていました。周囲の人たちは怪訝に盲人に聞きました。どうして提燈を提げるのですか?目が見えないのですから蝋燭の浪費ではありませんか?盲人は真顔で、ほかの人に光を與えるためです、燈りで私の存在もわかり、私にぶつかることもないでしょう道理は誠に簡単なのです。他の人に光を與えることは、自分にも益が與えられることなのです。

 

ですから、人を助けることは即ち自分も助けられることであり、人に便宜を譲れば自分にも便宜が與えられます。貰いたい物は先に差し上げる、人に愛を與えると人に愛されます。

 

私たちはこれから更に理解と信頼を深め、社員同志のその架け橋を開通させ、全同志が共に手を攜えて大連愛光の新たな一ページを記して參りましょう。私たちの誠意で相手を感動させ、私たちは相手の行動を手本にし、私たちの愛で相手の憂鬱を溶かしてあげ、私たちの両手で美しい未來の夢を高く高く掲げましょう!

 

盤古開天地,自有人類開始,無論是原始社會還是現今文明社會,任何事情都離不開人與人之間的合作。在你的周圍總是充斥着形形色色,各式各樣的人,自然而然的就會有喜歡與不喜歡。實事上不是每個人都相互欣賞的。你產生好感的也是對你有好感的,而你討厭的也是討厭你的。

 

良好的人際交往是建立在彼此理解與信賴基礎之上。適當時的一個理解的眼神,一個溫馨的微笑,一句的體貼話語,讓人倍感親切的同時也能激發無限高漲的合作動力。請相信只有心與心的交溶才能換回彼此的真誠,只有付出後的回報,才能讓你倍感歡欣與喜悅。

 

其實人與人之間的關係是相互的,是與人爲善的同時也是與已爲善。

 

這不由得讓我想起這樣一個小故事,古代著名的文學家蘇軾老先生與當時一位很有名望禪師一同打坐,蘇先生對禪師開玩笑道:在我打坐的時候用我的天眼看到禪師是團牛糞。禪師聽到後卻不以爲然說道,在我打坐的時候用我的天眼看到先生卻是如來本體。蘇先生聽到後得意的哈哈在大笑。其實這次蘇先生輸得有點慘,他忘記了修行的一切外在表現均爲內心的投射。他的內心是牛糞,看到別人是牛糞,而禪師的內心是如來看到別人也是如來。

 

其實很簡單,你把別人看成如來,當然你就贏得了人心,反之你把別人看成了牛糞,你就背棄了人心,又焉能不敗得很慘。正如有位盲人晚上出門的時候總是打着燈籠,別人看到了很不理解,問道就你走路還用打什麼燈籠,你又看不見,這不是白費蠟嗎。但盲人卻正色道:我打燈籠是爲了能照亮別人,別人看到了就不會撞到我了。其實就是這麼簡單,“照亮別人就是照亮自己”。

 

以上的哲理小故事推而廣之,還可以這樣引申,幫助別人就是幫助自己,與人方便就是給自已方便,欲將取之必將欲之,汝愛人,人恆愛也。

 

此刻就讓我們敞開心扉。從相互理解與信賴開始,建立起彼此信任的橋樑,共同翻開愛光詩篇那嶄新的一章。用你的真誠打動對方,用你的行動做出榜樣,用你的愛溶化那無奈與惆悵,用你我的雙手共捧起明天那美好的希望。

 

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