空着也行

在生日之際入手偶像的一本手賬,不知道寫什麼的時候空着也行。


今日文章分享:

諧音梗爲什麼好笑?

面白いネタで盛り上がるのは楽しいものだ。誰かが同じ発音の言葉を使ったネタを繰り出して、それを聞いたみんなにうまい具合に通じれば、そこには「仲間內」感が生まれ、ステータス感や帰屬感が満たされる。

今年流行したネットのホットワードには、同じ発音の言葉を使ったものが多かった。ある動畫主が使ったことで人気になった「集美(ジーメイ)」は、もともとは単に「姉妹」を表す「姐妹(ジエメイ)」がなまっていたに過ぎない。それがいまでは、ネットを利用する若い女性たちのほとんどに広まっている。

実際のところ、これまでを振り返ってみると、普段の生活の中でも、発音が同じなのに意味が違う言葉があるために生じる笑い話がよくあった。例えば、先生が「韓愈は偉大な文學家だ。20代ですでに進士になった」と言うのを聞いた學生が、「進士」を同じ発音の「近視」とかけて、「別にすごくないですよ。私は10代で近視になりました」と切り返すといった具合だ。

心理學における不調和理論ともによると、このような本來想定していた內容と実際の情報とのぶつかり合いで生じる不調和はユーモアが生まれる源だという。このような狀況では、聞き手は思いがけないものでありながらも道理にかなった「ふまじめな」內容を耳にして、もともと想定していた真面目さや緊張感が一気に緩み、こうしたリラックス感によって楽しさを感じる。

以前に同音ネタが人気になったのは、それを使うとコミュニケーション効率が高くなるからだった。10年前、多くの人がチャットの最後に「バイバイロウ」と発音が近い「886」という數字を使っていた。一方、現在広く流行している同音ネタの多くは、コミュニケーションにおいて「ポライトネス」を出せることがその流行の原因になっている。禮儀的に言って、私たしは多くの場合、思っていることをストレートに言うわけにも行かない。禮儀正しく、婉曲に、敬語をたくさん使う必要がある。これが英國の言語機能學者ジェフりリーチの言う「ポライトネス」の原理だ。例えば、あまり親しくない女性を「姐妹」とよんだら、なれなれしくて失禮だと思われる可能性があるが、「集美」なら、親しみやすさを表現しつつも一定の距離感は保たれており、とてもわきまえている感じがする。

面白いネタで盛り上がるのは本來楽しいものだ。誰かが同音ネタを繰り出して、それを聞いたみんなにうまい具合に通じれば、そこには「仲間內」感が生まれ、ステータス感や帰屬感が満たされる。その場にいた人の中に初めてそのネタを聞く人がいたとしても、直ぐにその意味が分かる。そしてその同音ネタをほかの友人にも伝え、「仲間內」の友人をふやしていける。このようにして同音ネタはたちまち広がり、頻繁に使われるようになっていく。




這一年哭的次數好像把以前沒有哭出來的都哭回來了。

到底是賺了還是虧了。

我想這是到了一定年齡眼腺特別敏感吧。

然後到中年的時候,歷經各種分別和風雨後。

又會迴歸平靜的時候。

我不會畫畫。

每次都想將自己腦海中的東西畫出來的時候。

都是手足無措。

拿到手賬的時候。

果然物有所值。

裏面還會有空着地方給持有人寫計劃或做其他事情。

昨晚按照習慣看了裏面幾篇文章之後。

我拿着筆總想寫點什麼在上面。

但是半小時過去了。

我還是握着那筆沒有下手。

“空着也行啊~”

對,何必要執着於它的空白或被填滿。

空着也行,只要大腦不空着就行。

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