不撕破臉

試着大度起來,那時候你也不會相信自己。


今日文章分享:

惜別2020

毎年暮れに思うんですがね、と落語家の柳家小三治さんが話の枕で語りだす。年を惜しむ気持ちになるような一年がいつか來ないものかと。「ほんとにいい年だったよ。年が替わるのがもったいないぐらいだよ」とみんながニコニコするような年が。

記憶にある限り一ペんもありませんでしたね、あたしの性格が悪いんでしょうか、とは小三治さんの感慨である(『まくら』)。惜しむというよりも忘れたい。例年にもまして痛感する年である。

仕事がなくなる。亡くならないまでも普段通りにいかない。大切な人に會えなくなる。しかしそれでも。いやだからこそ。思うに任せなかった一年のなかに小さな輝きを探して見たくなる。大晦日くらいは。

寫真家の斎藤陽道さんは撮影の仕事がなくなり、いつもどこかに出かけていた生活が一変した。「何をしたらいいんだろう」と戸惑った末、哀れ放題だった庭の草をむしった。そこにひまわりの種を植えてみたと雑誌『ちゃぶ臺』の秋冬號に書いている。

そして始めたのが「定點観測寫真」である。ヒマワリは一歳半の次男の背を、そしてすぐに4歳半の長男の背を抜いていく。撮り続け、咲いた花をぼんやり眺める。そんな數ヶ月を「よどむ日々を浄めた時間」を表現した。

多くの人は否応なく定點を持つことになったのがコロナ生活なのだろう。そこにあった小さな幸せは、家族は発した人言だったか。手にとった本や音楽だったか。思い起こす時間があってもいい。




我經常被家裏人說老實、較真、小氣、計較···

家務要平均分擔。

零食要平分。

買東西要人人有份。

紅包的金額要一致。

···

我一直這樣做。

因爲一直這樣認爲:只要這樣做了,家庭矛盾纔不會在一點點堆積起來。

溫暖和諧的家庭氣氛能夠培養一個人溫暖的性格。

可惜我的原生家庭不是。

前晚收到來自麻麻的一條視頻。

是家裏人一起在門口那寬闊的地方喫火鍋的視頻。

叔叔姑姑表妹們都去了。

每個人的笑臉都在這一條視頻上。

我看完之後繼續玩自己的。

不作任何回覆。

我不想回復也不知道回覆什麼。

第二天上班的時候。

我接到了麻麻的電話。

我內心沒有一點波點。

不到十分鐘的聊天時間。

好像也改變不了什麼。

站在陽光底下的時候。

我又有點想哭了。

本以爲找到了想依靠和一起努力的人。

但是一轉眼發現陽光下還只是自己的影子。

我不會去撕破臉。

我會嘗試建立起自己的邊界感。

大度起來,自己也會感到很舒服。

再一次明白到:

瞭解自己是人一生的任務。

瞭解自己很難,理解他人更難。

即使想鑽進他人的皮膚去了解也無濟於事。

因爲你時刻在自己的皮膚裏面。

也不見得你對自己有多瞭解。

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